心の浄化

筆ペンで名前を書いたら、娘に、「オヤジのくせに丸文字だよね」って言われた。

確かに、そうだった。左ききで文字を書くと、どうしても止め、ハネ、ハライがしづらくて、いい加減になってしまう。

無理して、カクカク書いたら、単純に下手でとっても嫌になり、どうしたもんかと、娘に尋ねたら、単純明快「書くしかない」なるほど、そりゃそうだ。しかしお手本は?と思ったら、即答で「好きなお経にしたらいいじゃん」ふむふむ、これも良いアイディアだ、でもさ、いきなり、半紙に筆はハードル高くない?、娘曰く、「紙に書き方鉛筆でいいんだよ」これも納得。娘に買ってあげた書き方鉛筆2Bで、ルーズリーフに、丁寧に、写経を始める。やり始めると、いろいろと発見がある。書き順だったり、字の形、バランスだったり、あるいは、漢字の意味、そして、単語の意味、文の意味など、ドンドン世界が広がっていく。

入院してた患者さんの気休めのためにと、半紙と筆ペンで写経をプレゼントのさせてもらった。全く他人に見せられるようなものではなく、粗末な文字でしたが、当然の事ながら、中身は素晴らしいものですから、これで勘弁してくださいと謝りながら、贈りました。

その写経もほぼ毎日一枚書く事が習慣になり始めたころ、「筆文字」も講習会に参加した。講師の実践をひと目見た瞬間、目からウロコが落ちた。これでいいのだ!と。参加したみんなが自由に何も囚われず、夢中になる状態は、とっても心地よく、素晴らしい時間が流れた。

はじめは、恐る恐るだった筆文字も、いつしか、自分の世界になり、みんなが好きな言葉を、好きなように描きはじめ、とってもその場のいい雰囲気が漂いはじめ、最後には、全員笑顔で、作品を仕上げることができた。

ここでも、上手くなるには、ただただ書くしかなく、しかし、その行為は決してやらされではなく、心の奥底から湧き出る不思議な欲求であり、できた作品より、作業をしている最中が最も心地よい。すでに、セラピーとして成立している感じだった。

この日から、写経も同じ感覚になり、書く事で心が清浄になってくる感じが強くなってきた。また、作品を公開する事である意味達成感があり、続ける動機にもなり、一石二鳥。やらない選択肢はない。

そんな理由で、写経が日課になりつつある。しかし、筆進まない時もある。そんな時は途中でも、潔く休む。ちょっとすると、書きたくなってくるのが不思議だ。脳ではなく、心の奥底が求めてくる感じ。

飽きずに、いつまでやるかはわからないが、いつでも、どこでも、思い立ったりやろう。

般若心経

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接骨院を楽しくやってます。健康、身体の治療、食(最近15Kg痩せましたよ)、特に交通事故後の治療(保険にも強い)についてお悩みの方、ご相談に乗ります。仏教を主体としたメンタルケアしています。 政治、経済、統計学が今の旬です。神仏摩訶不思議系、超常現象など、とても好きです。