教育について考える
7月から弟子をとった。盃を交わした訳ではない。
募集要項を見てきたのでもなく、
斡旋業者経由でもなく、
簡単に言ってしまえば、「ご縁」である。
最近は、「ご縁」の凄さが身に染みる。
「ご縁」があるかないかは「0」か「1」くらいに差がある。
これは凄い差である「0」に掛けても割っても「0」は「0」
凄い方らは、一緒にいるだけで心ウキウキする反面
なんだろなぁーと思ってしまう大人もたくさんいる。
本当の本物の仲間達の中にいると、
「なんでだろうなぁ?」と考えこんでしまう。
テレビやネットや世間の噂に流され本質、核心を見逃す人が多い。
それらの情報は、発信者にひとつに意見に過ぎないはず。
面と向かって話している人たちより、
顔も名前も素性も知らないを信じてしまう。
人の付き合いというのは、一体何なのか?なんて考えないのか?
「金の切れ目が、縁の切れ目」
そんな生き方なんぞ、したくない。
本当の本物で本気ならば、どっちかが死ぬまで、
いや死んだ後さえも付き合える友が本物だろ。
うちの若い衆にも、「今どき」ではないかもしれないが、
「漢気」を持つ男になって欲しいと願って教え育んでいきたいし、
自らもそうなりたいと思っている次第である。
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