いわき市鹿島町「こせき接骨院」ブログ:日常について考える:WordPress blog

日常を考える。
日常というのは、結構退屈なものである。

いつものように、朝起きて、

いつものように、仕事をして、

いつものように、食事をして、

いつものように、寝る。
特に変わったことがあるわけでなく、

なんとなく過ぎてゆく。
旅に行きたいと思って、外へ出れば、

いつもの違って全てが、真新しく感じる。

とはいえ、何もしないでブラブラもそれもまた退屈である。

何かする事があることは、嬉しかったりもする。
六親眷属が病気になる、介護が必要となる。

今こそ、恩返しだと思って頑張る。

つまり日常から非日常へ変更する。短い期間ならば、それでも良いかもしれない。

看護や介護が長期化すれば、非日常が今度は日常となる。

しかし、それはそれで今の医療体制から考えれば大変かもしれない。
親の看護といえば、有名なのは聖徳太子であろう。

「父母に孝養を尽くせ」まさに、人の道の基本中の基本。

看護中は、寝食をともに、看護する親が起きていれば起き、寝ればれる。

食べれば、食べるし、食べなければ、食べない。

現代とは、違い風邪でも簡単に死に至ってしまう時代に、

自分ことを勘定に入れず、看護することなど果たしてできるであろうか?

自信持って言えるのは、私は全く自信はない。
いつもの日常こそが、実はとても幸せな事である。

それを気づかせてくれるのが、非日常なのでもある。

いつまでも、この日常が続くわけがない。

この世は「無常」であるからである。
だとすれば、来るべき次のステージのリハーサルも

日常に組み込んでおかないと、対応はできない。

少なくとも、私はリハーサルをしておかないと不安である。
日常に感謝しつつ、次のステージを想定して非日常を過ごす。

これが今の私とっての「日常」なのであろう。

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接骨院を楽しくやってます。健康、身体の治療、食(最近15Kg痩せましたよ)、特に交通事故後の治療(保険にも強い)についてお悩みの方、ご相談に乗ります。仏教を主体としたメンタルケアしています。 政治、経済、統計学が今の旬です。神仏摩訶不思議系、超常現象など、とても好きです。