清濁を合わせ呑む。
以前の自分なら「納得がいいかねェー」と思ったことや
「バカじゃねぇのか、そんな事も知らんでェ」など思うことも、
なんとなく、「そりゃア、そっか、そうだよねェ」って感じになった。
川を両岸から観るという観点から、
川を上から見て、上流と下流がある観点で
観られるようになったのかもしれません。
目的がとても大きいと捉えきれません。
例えば、「水」です。
雨粒1滴でも、「水」だろうし、海の水でも「水」でしょ。
大きな海から、水蒸気になって、雨になって、・・・
社会貢献、世界平和などという大きな「海」みたいな目的を掲げれば
水蒸気だって、水滴だって、池の水も、トイレの水も、川の水も
大きな目的に達する前段階とも思える。
トイレの水と一緒にされちゃ困るとか、
ルルドの泉の水のような聖水だからとか、
一時の姿形、環境でしょ。
最終目的、海にたどり着くひとつの目標でしょ。
どこをどう辿ってもいいけど、最後は目的を達成したいもんです。
みんなで仲良く、目的を達成するためには、
目先の事やいまの環境、立場が違うくらいで
あーだの、こーだの言われても、どうってことはない。
たとえ、ルルドの泉の水といって、トイレの水呑んでも、気にしません。
だって、大きな目的があるだもんw。
でもさ、まだまだだよねェー。反省。
コメントを残す